時計の歴史

AUDEMARS PIGUET

現在も創業の地であるル・ブラッシュにおいて、創業家による完全独立を維持するスイス屈指の名門マニュファクチュール、オーデマ・ピゲ。

ジュール=ルイ・オーデマとエドワール=オーギュスト・ピゲが1875年、スイス時計産業の中心地のひとつであるジュウ渓谷にあるル・ブラッシュの村にオープンしたアトリエがその原点でした。

当初は高度なメカニズムを持つムーブメントを製作してジュネーブの時計ブランドに販売していましたが、次第にジュウ渓谷の職人達のネットワークを活かした分業によって完成品を手掛けるようになり、1907年にはアトリエの隣に初のマニュファクチュールを建設、職人たちを招き入れてオーデマ・ピゲによる時計製造が本格化します。

時計製造の工業化が進む中でも、伝統的な手作りによる高品質な時計の生産にこだわり、10~30名程度の職人による少量生産でアトリエを運営してきましたが、じわじわと業績を伸ばしていく中で1969年にはSSIH(現スウォッチグループ)と顧客の共有に関する契約を締結、オーデマ・ピゲは完全な独立を維持しながら、途方も無い規模の販路を得たのです。

そして1970年、とある顧客の「もっと現代人に合った、スチール製の腕時計を」との声に応えるべく、当時オーデマ・ピゲの運営を担っていたジョルジュ・ゴレイは、親密な関係にあったジェラルド・ジェンタにデザインを依頼、こうして生まれたのがロイヤルオークでした。

1970年代当時、ロイヤルオークの精密で隙のない外装を実現、維持していくためには、一流のサプライヤーたちに作らせた部品をひとつひとつ手作業で磨き、延々と調整を繰り返しながら組み上げていくしかなく、期せずして訪れた成功によって、オーデマ・ピゲは規模の拡大を迫られたのです。

それでも、ジェンタが創出し、ゴレイが実現したこの早すぎた傑作の価値に人々が本当に気付く日が来るまで、非常に長い年月を要しました。

ロイヤルオークの発表から40年目を迎えた2012年頃からそのブームは顕在化し、ついにはロイヤルオークのみならず、オーデマ・ピゲが作るラグジュアリースポーツウォッチの全てが争奪戦の対象となったのです。

現在のオーデマ・ピゲは世界中に2000名以上のスタッフを雇用し、ル・ブラッシュをはじめル・ロックルとメイランにオフィスと工場を持つに至りましたが、あくまで伝統的な時計製造への敬愛と革新の精神を尊重した最高品質のプロダクトにこだわり続け、全ての時計ファンの憧れであり続けています。

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